畏敬と慎み

今朝起きたら、なんだか目頭に近い鼻の部分がヒリヒリしました。

何かしたかしら?と考えましたが思い当たりません。

血は出ていないものの、引っ掻いたようでした。

夕べは爪も短く整えたのに…。

意と反して、就眠中に身体を傷つけてしまったことに申し訳ない気持ちです。

こんなことを言うと、「自分に申し訳ないって思うの?」と、お感じになる方もおられるでしょう。

然し乍ら、日頃から身体は借り物と思って過ごす私には、「あ〜やってもた〜」ではなく

「ごめんなさい〜」の気持ちがこみ上げます。

江戸時代、庶民のために『養生訓』を書き下ろされた貝原益軒は、

身を保って生を養うのに肝要な一字として『畏』という字を挙げておられます。

つまり、『畏れ』の心。

『畏敬の念』です。

それが、身を守るために一番大切ですよ、と説いておられるのです。

その畏敬の念が、『慎む』心に繋がっていくと。

大自然の理を畏れ、人にも物にも、敬い畏(かしこま)る気持ち…

ひいては自分の身体に細心の注意を払い、勝手気ままにせず、欲にかまけない…ということにつながります。

自分のために尽力してくれている身体ですもの。

日頃からそんなことを考えていますが、不覚にも薄っすら皮膚がえぐられた状態。。。

寝ている時は、綿の手袋を付けてマスクをする習慣がありますが、暑かったので手袋はせず。。。

あぁ、これが心の隙というものかと思い知らされます。

ちなみに、喉の乾燥を防ぐためのマスクはゴムの緩くなったものを使用し、口だけに被せます。

きついと、起きた時に耳にかけて『ねずみおやじ』のようなおヒゲができます(笑)

どんな時も身体に対して慎重にならなければ…と思う出来事でした。

今日は、これから一つ講座をさせて頂いた後、クラスの方々と繁昌亭で落語鑑賞です♪

楽しみです(*^^*)

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コメント2件

  • みほ より:

    友麻先生、こんばんは(*^^*)
    今週も一週間、お疲れ様でした。

    今日もお忙しい中、心が洗われるような為になる記事をありがとうございます。

    己の不摂生から 不健康で見苦しい身体を作り上げてしまった私も
    『畏敬の念』に込められた教訓が深く心に響きました。

    フラダンス教室で鏡に写る自分の姿が
    嫌で 振り付けのチェックやステップの確認を怠っていた事を反省しました。
    そして、理想的な身体作りの為にも 自分としっかり向き合い、敬い畏る気持ちを忘れずに頑張りたいと思います。

    生徒さんとの繁昌亭の落語鑑賞はいかがでしたか?(*^^*)
    また感想等、お聞かせ下さいね♪

  • ゆうま より:

    みほさん、こんばんは(*^^*)

    いつも御言葉を戴く中で、御家族のためを思い、きちんと御心がけされていることが伝わってまいります。
    そのような思いがお強い方に、身体に対する畏敬の念がないわけはありません(*^^*)

    毎日変化する自然、私たちの身体、環境…その時々において誠実に素直に対処していくことも畏•敬•慎に繋がっています。

    不摂生したくなくても、してしまうことがあるのが人間です。
    そんな時は、後からしっかり労いの言葉を御自身にかけてみてくださいね。
    お風呂で「ありがとうね」と言いながら身体を洗うことも善いですよ♪

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